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『一念多念文意』を読む(その58) ブログトップ

本文8 [『一念多念文意』を読む(その58)]

            第5回 つねにてらしまもりたまふ

(1)本文8

 また、現生護念の利益をおしへたまふには、「但有専念阿弥陀仏衆生(たんうせんねんあみだぶつしゅじょう)、彼仏心光常照是人摂護不捨(ひぶつしんこうじょうしょうぜにんしょうごふしゃ)、総不論照摂余雑業行者(そうふろんしょうしょうよぞうごうぎょうしゃ)、此亦是現生護念増上縁(しやくぜげんしょうごねんぞうじょうえん)」とのたまへり。この文のこころは、「但有専念阿弥陀仏衆生」といふは、ひとすぢに弥陀仏を信じたてまつるとまふす御ことなり。「彼仏心光」とまふすは、「彼」とはかれとまふす、「仏心光」とまふすは、無碍光仏の御こころとまふすなり。「常照是人」といふは、「常」はつねなること、ひまなくたえずといふなり。「照」はてらすといふ、ときをきらはず、ところをへだてず、ひまなく真実信心のひとおば、つねにてらしまもりたまふなり。かの仏心に、つねにひまなくまもりたまへば、弥陀仏おば不断光仏とまふすなり。「是人」といふは、是は非に対することばなり。真実信楽のひとおば是人とまふす。虚仮疑惑のものおば非人といふ。非人といふは、ひとにあらずときらひ、わるきものといふなり、是人はよきひととまふす。

 (現代語訳) また善導和尚が「現生護念の利益」について教えてくださり、「ただ阿弥陀仏を専念する衆生のみありて、かの仏心の光、つねにこの人を照らして摂護して捨てたまはず。すべて余の雑業の行者を照らし摂むと論ぜず。これまたこれ現生護念増上縁なり」と説いておられます。この文の意味ですが、まず「但有専念阿弥陀仏衆生」と言いますのは、ひとすじに阿弥陀仏を信じる衆生ということばです。「彼仏心光」の「彼」とは「かれ」ということで、「仏心光」とは、無碍光仏の御こころということです。「常照是人」の「常」とは「つねである」こと、ひまなく絶えずということです。「照」は「てらす」ということ、時や所を選ばず、ひまなく真実信心の人をいつも照らし守ってくださっているのです。無碍光仏のお心の中で、常にひまなく守ってくださることから、阿弥陀仏を不断光仏ともいうのです。「是人」と言いますのは、是は非に対することばです。真実信楽の人を是人と言うのです。偽りの心、疑惑の心を持つ人を非人と言います。非人と言いますのは、人にあらずときらい、悪い人ということで、是人とはよき人ということです。

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