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辛い思い出 [『一念多念文意』を読む(その69)]

(12)辛い思い出

 教師時代の辛い思い出です。ぼくには教師としての根拠のない自信がありました。これまで分かりやすく教えることで生徒たちから信頼を得ることができているというプライドがあったのです。で、荒んだ学校への転勤が決まったときも、不安はありましたが、まあ何とかなるんじゃないかと高をくくっていました。ところが現実はそんな生やさしいものではありません。まともに授業をやらせてもらえないのです。ぼくのプライドは木っ端微塵にされてしまいました。さてそのときぼくはどうしたか。
 プライドがズタズタにされたことから目をそむけようと必死になったのです。その現実を見ないようにしたのです。実際の授業はボロボロなのに「これは何かの間違いだ」と思うようにつとめたのです。しかし、自分は現実を見ないようにしても、外から見られてしまうのは何ともなりません。天気のいい日は日差しを避けるためカーテンが引かれて教室の様子が隠されますが、雨の日などカーテンは開けられ、しかも蛍光灯がつけられますから、室内が丸見えになります。
 こうなりますと、もう逃げ隠れできません。じっと己を見つめるしかありません、これが自分の偽らざる姿なのだと。たいして力もないくせに、不遜な思いを抱いてきた自分を直視しなければならなくなったのです。自分から己れのうちのドロドロを見つめることはできません。何とかして見ないで済むように暗闇の中に逃げ込みますから。しかしそこに外からひかりが当てられるとたまりません。全部お見通しとなってしまい、自分でもその嫌なドロドロを見つめなければならなくなるのです。
 ぼくらは自分の偽らざる姿をみずから「見る」ことはできません。外から「見られる」ことでようやく真正面からじっと見つめるようになるのです。有無を言わさず、見つめさせられるのです。

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