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ぼくにだけ存在する [『一念多念文意』を読む(その80)]

(7)ぼくにだけ存在する

 利己的な遺伝子のことをドーキンスが言い出すまでは、誰もそのことを知りませんでしたが、それ以前から利己的な遺伝子はちゃんと存在していましたし、万有引力のことを知らない人は世の中にザラにいますが、それでも万有引力は存在します。
 ニュートン以前の人たちは万有引力なんて存在しない世界に生きていたじゃないかという反論があるかもしれません。確かに彼らは万有引力の知識のない世界に生きていたでしょう。がしかし、彼らも万有引力の作用を受けていました。だから地球から落っこちなかったのです。
 これが「存在する」ということだとしますと、それに気づいてはじめて存在するとか、気づかなければ存在しないとかいうのは、存在の語義に反すると言わなければなりません。さてしかし、ここで言いたいのは、気づいてはじめて存在するようなものは存在の名に値しないという見方はあまりにも存在の範囲を狭めてしまわないかということです。
 たとえば、昨日という日のある一瞬をふと思い出すことがあります。女房の何てことはない仕草を思い出してニヤッとする。これはぼくが思い出してはじめて存在するものです。女房はそんなこととうに忘れていますから、「え、何のこと」という顔をしていますが、これは存在の名に値しないでしょうか。
 あるいはもう死んでしまった人のこと。その人とぼくの二人だけの思い出は、ぼくがそれを思い出してはじめて存在しますが、それも存在の名に値しないでしょうか。それがぼくにとって他のどんなことよりも価値があるかもしれなくても。さあ、しかしこのように言いますと、深刻な疑問が襲いかかってきます。
 こんな声が上がるでしょう、「もしきみの個人的な思い出のようなものまで存在の仲間に加えると、何が存在して何か存在しないかの境界が曖昧になってしまわないか」と。

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