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陰謀説 [『一念多念文意』を読む(その108)]

(16)陰謀説

 見なくて済むようにするいちばん手軽な方法は、不都合な事実を誰かにでっち上げられたものとすることです。陰謀説です。そういえば、少し前に東京の図書館や書店で『アンネの日記』のページが破りとられるという事件があり、やがて犯人が捕まりました。その30代の男は「あれはアンネ=フランクが書いたものではない」と語っているそうですが、ユダヤの陰謀とでも言うのでしょうか。その伝で、南京事件は中国の陰謀であり、従軍慰安婦問題は韓国の陰謀としてしまえば、そのような嫌なことは「実はなかった」と思えて気分よく日々を過ごせるわけです。
 この心理が「囚われ」である所以は、しっかり目隠しして気にならないようになったと思っていても、ひょんなときにふいっと姿を現わして慌てさせるところにあります。それだけではありません、完全に抑圧されてしまった思いは、無意識裏に悪さをするのです。フロイト理論の主眼はここにありました。彼は深層に抑圧された性的エネルギーが精神病理を引き起こす原動力になっていると見たのです。そこから彼が引き出した結論は、そうした病理を治すには、深層に抑圧されているドロドロを本人がじっと見つめるしかないということでした。
 そろそろまとめましょう。
 弥陀の本願とは過去の死者である仏たちの願いではないかということからスタートしました。その声が聞こえる(本願に遇う)ことで、すでに仏にひとしいと喜ぶことができ、そしてやがてみな仏になって本願の声に合流するだろうと思える。そのとき障碍となるのが因果応報でした、みんな一様に仏になるなんてありえないと。これを支えているのは「自分は悪に負けるような弱い人間ではない」という自負心ですが、しかしそこには「囚われ」の心理があるのではないかと考えてきました。それは実は悪に弱い自分を見ないように抑圧しているだけではないかということです。その「囚われ」から自由になれば、誰でもみな仏になれると素直に喜べるのではないでしょうか。

                (第7回 完)

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