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向こうからアクセスしてくる [『一念多念文意』を読む(その131)]

(9)向こうからアクセスしてくる

 言うまでもないことですが、科学では、あることを真理と主張するためには、示された手順を踏めば誰でもそこにアクセスできることが必要条件となります。
 少し前になりましたが、STAP細胞という万能細胞を簡単に作ることができるとする論文がインチキではないかということが大きな話題となったことがあります。「これがSTAP細胞だ」という肝心な画像が疑わしいとされたのですが、最終的な決め手となるのは、論文が指示する手順でその細胞が作れるということを実証できるかどうかです(結局できなかったようです)。
 この基準からしますと、「われがない」という真理は、誰もそれにアクセスできないのですから、真理として主張する資格はないということになります。ではそれはインチキということでしょうか。しかし2500年にもわたって、無数の人たち、しかも最高の知性をもった人たちがインチキに振り回されてきたなどということは考えられません。
 では、どういうことか。考えられるのはただひとつ、この真理はこちらからアクセスできないが、向こうからアクセスしてくるということです。
 「われがない」という真理が向こうから思いがけずやってくる。それを「そうか、われがないのか」と言った途端、自家撞着に陥ります。ではどうすればいいか。どうするもこうするもありません、ただ「ほれぼれと」聞くのみです。釈迦が悟りをひらいたあと、それを誰にも語ろうとしなかったという逸話はさまざまに解釈されていますが、語ろうにも語れなかったというのが真相ではないでしょうか。語った途端に矛盾に巻き込まれるのです。しかし梵天の勧請(かんじょう)をうけてついに語り始めますが、語りえないことを語るのですから、なんとしても方便が必要になります。
 しかし方便の語りとはどういうものか。

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