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わがものに執着するなかれ [『一念多念文意』を読む(その133)]

(11)わがものに執着するなかれ

 ここに「欲望を回避する」という言い回しがありますが、これは欲望を一切もつなということではなく(それは無茶というものです)、「足で蛇の頭を踏まないよう」とありますように、膨れあがる欲望に振り回されないよう気をつけよということでしょう。何とも常識的です。高尚な形而上学的理論を求める人には期待はずれと言わなければなりません。
 真実はと言いますと、「われがない」ということ、したがって「わがものもない」ということです。でも、それをそのまま語ることはできません(自家撞着します)。そこで「わがものに執着するなかれ」と語る。前にも取り上げたことがありますが、『正法眼蔵』におもしろい話があります。
 白楽天(唐代の大詩人、白居易です)が道林禅師に「仏法とは何か」と問い、道林は『法句経』(『ダンマパダ』という経典の漢訳で、これも最古の経典の一つです)のことば「諸悪莫作(しょあくまくさ)、衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)」を持ち出し、これぞ仏法だと答えるのですが、白楽天は「そんなことは3歳児でも言える」と不満を漏らします。そこで道林は「3歳児でも言えるが、80歳の老翁でも行えない」と一喝するのです。
 「わがものに執着するなかれ」と語るのがなぜ方便か。「諸悪莫作、衆善奉行」と語るのがどうして方便の語りなのか。
 くり返しになりますが、「わがものはない」が真実であり、「善も悪もない」が真実であるとしても、そうは語れません。向こうからやってくる真実の声を「ほれぼれと」聞くしかないのです。そして語れないことについては沈黙を守ればいいのですが、そうもいかないとなりますと、その真実の声が聞こえていないと思われる人に、聞こえるよう導くしかありません。

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