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諸悪すでにつくられずなりゆく [『一念多念文意』を読む(その137)]

(15)諸悪すでにつくられずなりゆく

 道元が難解な文章で言わんとしているところを汲み取るべくつとめてみましょう。「諸悪莫作、衆善奉行」と言われますと、悪をなさないようにしよう、善をなすようにしようと「造作」することだと理解するのが普通ですが、そうではないと道元は言います。「造作」というのは、「造作もない」という言い方がありますように、手間をかけるということです。親鸞的に言えば「こちらからはからう」ことです。善悪は、はからおうとしてもはからえるものではないと言うのです。
 そうではなくて「菩提の説となれるを聞教するに、しかのごとくきこゆるなり」と言うのですが、「菩提の説」とは「菩提(悟り)の場所から出てくることば」というほどの意味に理解すべきでしょうか。そのことばが聞こえてくると、「聞著せらるるに転ぜられて」、「諸悪すでにつくられずなりゆく」と言う。
 「聞著」の「著」は「着」で、「つく」の意味ですから、聞こえてくることが身につくということでしょう。向こうから聞こえてくる声が身にしみるということ。そして、悪をなさないようにしようと思わないのに、おのずから悪をなさないようになっているということです。「諸悪〈すでに〉つくられず〈なりゆく〉」という言い回しにそれがよくあらわれています。
 これが「わがもの」への執着を肯定するのでも、否定するのでもなく、その中道を行くことでしょう。「わがもの」に執着するのでもなく、執着を否定することに執着するのでもないと言えばいいでしょうか。かくしておのずから「わがもの」への執着から遠ざかるようになっていくのではないでしょうか。

                (第9回 完)

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