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『一念多念文意』を読む(その152) ブログトップ

本文21 [『一念多念文意』を読む(その152)]

        第11回 一念・多念のあらそひあるまじき

(1)本文21

 「今信知弥陀本弘誓願(こんしんちみだほんぐぜいがん)、及称名号(ぎゅうしょうみょうごう)」といふは、如来のちかひを信知すとまふすこころなり。「信」といふは、金剛心なり。「知」といふは、しるといふ。煩悩悪業の衆生をみちびきたまふと、しるなり。また、「知」といふは、観なり。こころにうかべおもふを観といふ。こころにうかべしるを知といふなり。「及称名号」といふは、「及」は、およぶといふはかねたるこころなり。「称」は、御なをとなふるとなり。また「称」は、はかりといふこころなり。はかりといふは、もののほどをさだむることなり。名号を称すること、とこゑ・ひとこゑ、きくひと、うたがふこころ一念もなければ、実報土へむまるとまふすこころなり。また『阿弥陀経』の、七日もしくは一日、名号をとなふべし、となり。

 (現代語訳) 善導の『往生礼讃』に「今信知弥陀本弘誓願、及称名号…(いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下十声・一声に及ぶまで、さだめて往生をうと信知して、すなはち一念に至るまで疑心あることなし)」とありますのは、如来の誓いを信知するということです。「信」とは、金剛のような心のことです。「知」とは、しるということ。煩悩をもち、悪業を重ねている衆生を導き救ってくださると知ることです。また「知」とは、観ということです。心に浮かべて思うことを観といいます。心に浮かべて知ることを「知」と言うのです。「及称名号」と言いますのは、「及」は「およぶ」ということ、兼ねているという意味です。「称」は、御名を称えることです。また「称」は、「はかる」ということ。「はかる」と言いますのは、もののほどを定めることです。名号を称えるのが十声、一声であっても、名号を聞く人に疑う心が一念もありませんから、真実の浄土へ往生できるということです。また「もし七日及び一日、下十声乃至一声一念等に至るまで、必ず往生を得」の文については、『阿弥陀経』に「七日もしくは一日名号を称えなさい」と説いてあります。

タグ:親鸞を読む
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