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不都合なことには必ず何らかの原因がある [『一念多念文意』を読む(その170)]

(4)不都合なことには必ず何らかの原因がある

 ヨブの答えはこうでした、「われわれは神から幸いを受けるのだから、災いをも受けるべきではないか」。こうしてヨブはサタンの予言を覆すのです。
 そのとき三人の友人がヨブのひどい災難について聞き、慰めるためにやってきます。彼らが口々に言うのは「あなたがそんな目に遭うのは、あなたに何か罪があるに違いない。それを正直に打ち明ければ神の赦しがあるでしょう」ということです。しかしヨブにはそんな覚えはまったくありませんから、「わたしのどこに罪があるというのか」と強く反論するのです。
 この後まだ話がいろいろに展開していくのですが、それを追うのはやめにしまして、ここで考えたいのは友人たちの論理です。神が何の罪もない者を罰するはずはないから、あなたが罪を犯したとしか考えられない。この論理には、どんな災いにも神の怒りという原因があり、神の怒りにもその原因があるという前提があります。
 何か不都合なことにはかならず原因がなければならない、そう考えなければ生きる上で重大な支障がある―ここに因果律出生の秘密があるような気がします。
 先の飛行機事故の場合、その原因を突き止めなければ、また同じ事故を繰り返す恐れがあり、もう怖くて飛行機に乗れなくなります。また遺族の立場からしますと、事故の原因をはっきりさせ、責任の所在を明らかにしなければ腹の虫がおさまりません。『ヨブ記』の場合、友人たちにとって、ヨブの災いの原因が彼自身の罪にあることを認めさせることで、世の理不尽さがなくなります。
 かならず原因がなければならないのは、犯罪があるとき、そこに犯人がいなければならないのと同じです。

タグ:親鸞を読む
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