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死者と霊魂 [『一念多念文意』を読む(その175)]

(9)死者と霊魂

 死者は他者の典型です。どんなふうに思っていたか、もう知りようがありません。でも、だからこそその声に耳を傾けなければならないというのが宙太君の言い分でしょう。相手が何を考えているかまったく分からないときに、「話にならん」と関係を遮断してしまうのではなく、「どういうことだろう」と相手のことばに耳を傾けるように、死者の言いたいであろうことに思いをはせようというのです。他者である生者を理解しようとするように、他者としての死者のことも理解しなければならない。
 しかしそもそも死者なんているのかという問題があります。死者のことなど分かりっこないと主張するナオ君も死者が存在することは否定していませんが、死者など存在しないという立場もあるでしょう。死者というのはただこころの中で想像しているだけだと。その一方で、死者は霊魂という形で存在するという立場もあります。小説の中に、そのことを廻る印象的な会話が出てきます。作者とおぼしき男Sと事故で亡くなった愛人との(もちろん想像上の)会話です。
 「ずばり、わたしは霊魂なの?」「…うーん、ついに来たか。まさに重要な質問だね。僕もずっとそれを考えてきた」「だったら。ここできちんと答えて欲しい。ここで話しているわたし、書かれているわたしはいわゆる霊魂としてあなたの前にいるの?」「いや、そうじゃないと思う。僕の考えでは、死者の世界とでもいうような領域があって君はそこにいる」「だからそれを霊界って言うんでしょ?」「僕は別に霊界の存在をここで否定したいわけじゃないんだけど、ただ、もし霊界があるなら人類絶滅の瞬間にそこは最も栄えるだろう。でも、僕が言ってる死者の世界は逆だ。そこは生者がいなければ成立しない。生きている人類が全員いなくなれば、死者もいないんだ」。

タグ:親鸞を読む
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