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『一念多念文意』を読む(その178) ブログトップ

悲しまずに生きてほしい [『一念多念文意』を読む(その178)]

(12)悲しまずに生きてほしい

 「生者を鎮魂する」という言い回しが変なら、「生者を慰める」と言うべきでしょうか。死者が生者に呼びかけている「悲しまずに生きてほしい」の声が聞こえるかというのがこの小説のテーマです。
 広島の原爆慰霊碑のことが小説の中に出てきますが、そこには「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。しばしば問題とされる後半の文言はさておき、これはわれわれ生者が死者に「安らかに眠ってください」と呼びかけています。このように、死者と向き合うとき、生者が死者に呼びかけるというベクトルが前面にでるものですが、あの記念公園でぼくらがしているのは、むしろ原爆の死者たちの声を聞くことではないでしょうか。
 「安らかに眠って下さい」という死者への呼びかけは、死者の平安を祈っているようですが、実は「もうぼくらを悩ませないで、引っ込んでいてください」と自分自身の平安を願っているととることもできます。死者が安住の場を得られず、その辺りをふらふらさまよわれては困るということです。
 津波で愛する家族を亡くしてしまった人が「生き残ってしまった」とつぶやくとき、その人の胸には「わたしだけが生きていていいのだろうか」という煩悶が渦巻いていることでしょう。あるいは戦友の大半が戦死した中、復員してきた兵士が「オレだけ日本に帰ってきていいのか」と悔やみ続けるとき、死んだ戦友たちの顔が彼を責めているでしょう。
 レヴィナスという哲学者が「顔」という特異なことばで言おうとしたのは、アウシュヴィッツで殺されたユダヤ人同朋たちのことです。

タグ:親鸞を読む
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