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『浄土和讃』を読む(その1) ブログトップ

はじめに [『浄土和讃』を読む(その1)]

              第1回 冠頭讃

(1)はじめに

 皆さん、こんにちは。これから親鸞の『浄土和讃』を読んでいきます。『浄土和讃』とは何かについては、浄土真宗の門徒の方にとって言うまでもないことですが、門徒ではないが親鸞に興味があるという人(ぼくもその一人ですが)のためにひと通り説明をしておきましょう。
 まず和讃と言いますのは、七・五調の和語で仏教の教えを讃える歌のことで、平安から鎌倉にかけてよく作られました。親鸞の和讃は七・五を四句連ねて一首とするもので、『浄土和讃』の冒頭の和讃、「弥陀の名号となへつつ 信心まことをうるひとは 憶念の心つねにして 仏恩報ずるおもひあり」のごとくです。
 親鸞は晩年の京都時代(親鸞の生涯は大きく三期に分けることができます。比叡山で修行し29歳で吉水の法然門下に入った青年時代、35才のとき承元の法難で越後に流され、その後常陸を中心に関東で過ごした壮年時代、そして60歳の頃、再び京都に戻ってからの晩年)、多くの和讃を作りました。
 500首を越える和讃が残されていますが、それが『浄土和讃』、『高僧和讃』、『正像末和讃』の三帖にまとめられています。
 『浄土和讃』と『高僧和讃』は76歳のとき成立し、『正像末和讃』は85歳のときとされますが、いずれもその後かなり補訂されています。親鸞と真仏(高田派門徒の中心人物)の筆による国宝本が残る他、顕智(真仏に次いで高田派を率いた人物)が書写した本(『高僧和讃』が欠けています)、そして蓮如が「正信偈」とともに出版したものがあります。今日流布しているのは蓮如によるもの(文明本と呼ばれます)です。
 親鸞の書いたものといえば何と言っても『教行信証』ですが、これは仏教の伝統にのっとって漢文で書かれており、それを読める人は限られます。そこで親鸞は晩年に、一般の人にも読みやすいようにと和語で解説した書物を著すとともに(『唯信鈔文意』、『一念多念文意』、『尊号真像銘文』などです)、さらに浄土の教えに親しみやすいように多くの和讃をつくったと思われます。

タグ:親鸞を読む
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