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こんなはずじゃない! [『浄土和讃』を読む(その24)]

(14)こんなはずじゃない!

 先に(11)、「あゝ、これは煩悩だ」と気づくことが、煩悩という執着から抜け出すことだと述べましたが、同じように「あゝ、オレは悪人だ」と気づくことで、悪への執着から解放されるのです。
 「これは煩悩だ」と気づくことで、煩悩が消えるのではありません。いままでと同じように欲を起し腹を立てているのですが、不思議なことにそのことにとらわれなくなるのです。欲を起し腹を立てている自分を「あゝ、また」と冷静に見つめることができるようになり、そのことで貪欲や瞋恚の炎がおのずとおさまってきます。同様に、「オレは悪人だ」と気づくことで、悪人でなくなるのではありません。これまでと変らず悪人のままですが、己の内なる悪をジッと見つめることができるようになり、その結果しぜんと悪がおさまっていくのです。
 もっと分かりやすい例を上げましょう。コンプレックスです。
 ぼくは田舎の小学校からよせばいいのに町の有名中学に入りました。そんなぼくを待ち受けていたのは「あゝ、オレは頭が悪いのだ」というコンプレックスでした。周りの連中はみんなぼくより頭がよく見えるのです。このコンプレックスをよく観察してみますと、その裏に「これは何かの間違いで、オレはもっと出来るはずだ」という思いが張り付いています。そこでどうなるかといいますと、この思いを実証するためにシャカリキになるのです。思えば暗い思春期でした。
 「オレはもっと出来るはずだ」という思いは、「オレはまあまあの善人だ」という思いに似ています。「まあまあの善人」と思っているのに、「おまえは悪人だ」などと言われますと、無性に腹が立つように、「もっと出来るはず」と思っているのに、試験で惨めな点数が突きつけられると、ひどく落ち込みます。ところがこころの底から「オレは頭がわるいのだ」と気づきますと、不思議なことにそのことにとらわれなくなり、こころが落ち着いてくるのです。

タグ:親鸞を読む
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