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オイディプス [『浄土和讃』を読む(その137)]

(4)オイディプス

 ソフォクレスの『オイディプス』を思い出します。
 テーベ王ライオスは「汝の子は汝を殺し、汝の妻(つまり母)を娶ることになる」との恐ろしい神託を受け、生まれたばかりのわが子オイディプスを殺すよう命じます。ところが従者は殺すに忍びず、密かに人手に渡し育ててくれるよう頼むのですが、結局その子はコリント王夫妻に引き取られることになるのです。成長したオイディプスは、ある日、道で実の父と(もちろん父とは知りもせず)ばったり出会い、ことの成り行きで殺してしまいます。こうして神託はその半分が実現され、さらにスフィンクスの謎を解いてテーベを救うという偶然からテーベ王の地位につくことになり、母イオカステと結ばれて神託は完成されるのです。
 と言いましたが、ドラマではこうしたことはすべて伏せられたまま、オイディプス王のもとでテーベに大きな災難が降りかかるところから始まります。そしてその災難の元は前王ライオス殺しの犯人がテーベ内にいることにあるという神託を受けて、オイディプス自身がその犯人(つまりはおのれ)を探索するという筋立てで進みます。そしてその過程で恐ろしい真実がひとつ一つ明らかになっていくのです。その息詰まるような展開を追うのはやめにしますが、最後にすべての真相を知ったオイディプスが己の眼を抉り出してこのドラマは幕を閉じることになります。
 このドラマが上演されたのは紀元前5世紀のことですから(王舎城の悲劇と同じころです)、二千数百年もの間、人の心を鷲づかみにしてきたのには、何か深い理由があるに違いありません。このドラマにはまったく救いがありません。『観経』や『涅槃経』では韋提希も阿闍世も釈迦の教えで救われていくのですが、イオカステやオイディプスは自分たちの恐ろしい運命を知ることで破滅していきます。にもかかわらず、このドラマには人の心を打つ大きな力があるのはどうしたことでしょう。
 このドラマは観るものに深い諦観を与えてくれます。われらはどうしようもない運命の力に翻弄されるしかないという諦観です。見えない力に操られて生きていることを思い知らされることで、そこに何とも言えない悲しみとともに、不思議な安堵(アリストテレスはそれをカタルシス-魂の浄化-と言いました)も生まれるのではないでしょうか。

タグ:親鸞を読む
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