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不都合な真実を抑圧して [正信偈と現代(その69)]

(7)不都合な真実を抑圧して

 今度はフロイトに登場ねがいましょう(何だか偉い人をつぎつぎ引き合いに出して権威づけしようとしているようで気が引けますが)。彼の画期的な説が当時の上品なウイーンの知的サークルで眉を顰められ、なかなか受け入れられなかったというのは有名な話ですが、それは彼が「リビドー」という強い性的衝動を持ち出したからです。これはスピノザの「自己の有に固執しようと努める努力」にあたるもので、人間にはみなリビドーという身のふたもない本能が潜んでいるのに、それを見ないようにしているというのです。それを無意識のなかに抑圧して、聖人君子のような顔をして生きているが、そのことがさまざまな精神疾患として現れてくるのだという考えです。
 そこからフロイトは、患者が自分に見えないように無意識のなかに抑圧しているものを明るみに引き出し、それを自覚することにより精神疾患が治ると主張し、それを医者として実践していきました。ここには大事な知見があります。何か不都合な真実から目をそらして生きることがあらゆる問題の根源にあるという知見です。フロイトの患者の場合は、ヒステリーのようなあからさまな症状として表に現われてくるのですが、もっと日常的には得体のしれない不安とか、何だかよく分からないイライラとかといったかたちで現れます。それは苦しみとして明確には意識されていません。それを苦しみとはっきり意識するのはすでにしてひとつの気づきであり、そして、その気づきがありますともう問題は半分以上解決されているのです。
 釈迦は「生きることはすべて苦しみである(一切皆苦)」と言いましたが、これは事実を述べているというよりも、ひとつの気づきを表明していると言えます。ですから、この気づきのない人には「何を言っているんだ、人生には苦しみもあるが楽しみもあるじゃないか」となります。得体の知れない不安とか、わけの分からないイライラを感じて気がふさいだり、こころが暗くなったりするのはよくあることですが、それは苦しむこととは似て非なるものです。何かに苦しむときは、苦しみのよってきたる元に気づいています。

タグ:親鸞を読む
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